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くうねるふざける

取り留めのない話を、取り留めなく

装丁にもこだわり

昔の日記

 

私はもしかしたらまんがかゲームか、映画の中の人なんだと思います

より現実に近いことなら思ったことがほんとうになるし、嫌なことやつらいことがあっても必ず快方に向かうという、起承転結が ちょくちょく存在するからです

映画や漫画みたいに自分や人が簡単に死んだりはしないけど、それ以外は回ごとに綺麗にまとまったお話であるように思います

人間ならでは(?)の 感情の移り変わりと情緒を美しいと思います 人のものも、もちろん自分のものも

体とこころの具合が悪くてへばるのも またよいものだと思えます

これは漫画や映画を観ているときの気持ちと似ています どちらに対しても感情移入をします でもあくまで、外側から傍観しています

ただ生きているだけなのに、もしこれが本当に物語なのだとしたら、知らないおじさんや 下手すれば無機物にまで、それぞれに割り振られた役があって それを全うしているのだなと思うと ときに涙するほどに感動します 多分本当はそうじゃないです それでも感動します

 

私が生まれるずっと前から 全てがあらかじめ美しく映るようにセットされていて、なんなら私の人格も、誰かが作ったキャラクター設定をもとに、形成されているのではと思います

人生の終わりには それに見合った音楽と、スタッフロール エンドロール(友達とか家族とか関わった人の名前がずらりと並んで30分くらい)が流れて、終わったら観客という観客からスタンディングオベーション、拍手喝采が巻き起こるんだと思います

それくらい出来すぎた世界だと思います

 

この話をするとだいたい、頭がちょっとあれな人という認定をされます。

あながち間違いではないかもしれないので反論はしませんが

たまに生きているという実感そのものが、フィクション的というか、プログラム的というか、確かに自分のものであるのに、他の何者かに計算されているもののような気がします 

精巧な食品サンプルを見たときのように、疑わしくなります

 

綺麗なものを見て綺麗だなと思う感覚さえ、誰かにデザインされた設定なのではないか、と思ってしまいます これが自由度の高いゲームだったらありえます ジンコウガクエンみたいにね

 

人生と世界が美しくデザインされていて、それを感じ取る心までもが、完璧にデザインされている気がします 見えている世界において。。そんなわけはないのだけれど。。

 

もしかしたらこの考えの全てが逃避で、ただ現実を見たくない社会不適合の人間にとって、ありがちなことを大げさに言っているだけなのではないか とも思います

多分本質はそうなんだろうなと思います

 

とにかく何でもが美しくてよいものに見えるので、時折こわくなりつつも、そればっかりは救われているなと思います

今がこんなにも恋しいのは、まさに今だけだと思います

どうしてこんな風になったのかはわかりませんが、私はこのことを 脳が死んだ と解釈しています

これからも 死んでいい脳はガンガン殺していこうと思っています

主に、自分の嫌な部分を他人の中に見つけて、それを攻撃する脳などです

ガンガン殺していきましょう

すぐさま王手です。